今は亡き母方の祖母から、たった一度だけ年賀状を受け取ったことがある。実家のある高知から、ここ弟子屈に移り住んで何年後かのことだった。送り主である祖母の住所と名前は、明らかにどなたかに代筆頂いて書かれたものだと分かったが、見るからにたどたどしい筆跡の~あけましておめでとう~の文字に、一瞬にして(これは祖母のものである)と確信した。意識より先に胸に込み上げるものがあり、込み上げたまま目からポロポロポロポロと流れ落ちた。
人生の中に、戦争という時代を織って生きてきた祖母は、読み書きがほとんどできなかった。一人娘であった私の母が嫁いでからは、何十年も一人暮らしでやっていたのだが、時々私が遊びに行くと「あやよ、コレ書いてくれんかね」と言って茶の間にある小さな合板の引き出しから、大事そうに書類を引き出してくる。もう何年もインクの減っていないいつものボールペンを出してきて、先っぽの方を息で温めてから私に渡し、「何と書いちゅう?そーか、そこには、こう書いてくれんかのうし」などと言う。そんな時は決まって、まるでそこに答えが書いてあるかのように、天井を見つめながら話すのだった。書類のほとんどは、ビルマで夫が戦死した戦争未亡人の会「パゴダ会」からのもので、会報や慰霊祭の案内書などもひと通り読んでやると、「そうかね」と小さく頷くのだった。
年賀状には、これも祖母が折ったであろう折り紙の(たしか)亀が、糊でべったりと貼り付けられ、その頃祖母が2ヶ月に一度の楽しみにしていた「シーサイドホーム」での、デイサービス午前10時半あたりの折り紙作りの様子が目に浮かび、切ない。読み書きする事が、人生からすっぽりと抜け落ちていた祖母は、とにかくボンヤリ腰掛けることもなく、良く働きよく食べた。いつの頃からか、祖母の後ろ姿に宮沢賢治の「アメニモマケズ」の文字が張り付いて見えた。
その祖母からの思いがけない年賀状に、突然「ツヅキ シゲオ」という女の人生を突きつけられたような気がした。シーサイドホームの職員の方に教えて貰いながら書いたであろう~あけましておめでとう~のたどたどしい10文字に、夫も、特定の職業も、学歴もないけれど、まっとうに生きてきた一人の人間の、すがすがしいまでの存在感を見たような気がした。そのたどたどしさは、詩人相田みつを氏のそれとは全く別の種類のもので、「選択的たどたどしさ」と「必然的たどたどしさ」の違い、といったものか。自分にとっては、祖母の「必然的たどたどしさ」の投げかけるメッセージもまた、温かい。
祖母からの、後にも先にもたった1枚のこの年賀状を一生大切にしよう、と固く心に決めて何処かにしまったまま、分からなくなってしまった。
先日、「Lungta」という写真集が届きました。ページをめくって初めて、「ルンタ」と発することを知ったこの写真集は、山田岳男という人によって撮影され、印刷され、丁寧に製本されて今、私の手元に在ります。
写真集を受け取った時の手触り、心ざわりに祖母の年賀状を手にした時の気持ちが重なります。ちがっている事といったら、祖母の年賀状は思いもかけず届き、「Lungta」は作者ご本人にお願いして送って頂いたこと。ワックスペーパー越しに見える馬の背の1枚の写真は、きれいに切り取られ丁寧に糊づけされたもので、次をめくる手が優しくなるようなページ、作者にはおおげさと言われたけれど、わずかに手の振るえを感じました。
写真集には独立した紙が1枚挟まれていて、「エデンの東」という文字の下には、この写真集でのルンタ(チベット語で~風の馬~を意味する)の事、彼らの存在を通して山田岳男という人が見ている世界などが綴られていると思います。
ルンタ~風の馬~を想うとき、私の中には祖母の駆け抜けてきた人生が重なります。時代や生活環境や戦争によって、その殆どを自分の意思や理想といったものを排除したところでやってこなければならなかった一人の女の一生。その瞳にもルンタと同じ陰影を見たことがあるような気がします。
穏やかで物欲が薄く、難しい話とは縁遠く、心も身体も丈夫だった祖母。亡くなる数年前に一度だけ、「(戦争中は)大変じゃなかった?」と聞いたことがあります。答えは、「あの頃は、みんなあそうやった」それだけでした。
不思議といろいろな事が見えない糸でつながっているように感じる今日この頃です。昨日何年かぶりに開いた雑記帳に「Artist=わかったようなふりをしない人・探しつづける人・希望をくれる人」というなぐりがきがありました。またそんな人に会えたのかな、と感じます。 あや
山田岳男さん、「Lungta」などについては自分が文字にすることによって本当のこととはかけ離れてしまうことが本意ではありません。是非、彼自身の作ったページをご覧ください。
http://silentrevolution.biroudo.jp/home.html
こんな調子の私だけど詩集や戦争体験、原爆体験の本やドキュメンタリーに非常に心を引かれ
本やDVD、TVを見ては泣いてます。
自分ならどうしていただろ?とか突然愛する人との別れを想像するといつでも泣けてくる。
無駄な戦争と思っていても過去の人々が守ってくれたお陰で今があるんだろうと思う。
戦争の苦しみや悲しみは分かる事はないだろうけど想像するだけでゾッとする。
ayaちゃんのブログは時折私の心の何かを気付かせてくれる。
逢っている時は気恥ずかしくてバカ話しか
しないのにね(^^)
そんなayaちゃんのギャップが好きよ♪
投稿情報: ハオハオ母 | 2010/10/07 12:06
ハオハオ母チャン
鬼の目にも涙、ですね。っていうかおりに触れて泣き過ぎ(笑)
本当、合えば自分たちでも感心するくらいくだらない話ばかり
してる訳だけど、心の中にはいっぱいいろんな想いがあるんだよね。ハオハオ母チャンは、私の中でもギャップオブザイヤーだったわ。愛情が毒舌になって溢れている、そんなアナタが大好きさ♬アナタの娘をみていると、愛情の大きさがよくわかるよ。いつもいつまでもありがとうね!また遊ぼうね。
投稿情報: あや | 2010/10/07 17:17