まさかその日の朝まで、自分が221号室の敷居の上に座って、午後1時10分を迎えているなんて想像もしなかった。というより221号室はもとより、その部屋のある「ホテルK」のことなど、自分の生活の中には全く関係のない場所の話だったから。しかし、確かに昨日はその室の堅い敷居の上に半ばひざまづいた形で、私はつい数日前に辻谷食堂で珈琲を淹れ、他愛もない旅の話を聞かせてくれた年配の紳士と対峙していた。手には返金分の数千円の封筒を持って。
朝、店から自宅にKatzから連絡があり留守番電話に入った1件を知らされる。聞けば、「昨日購入した衣料がとんでもないもので、大変困惑している」というような内容だったと言う。「ほら、僕が出張で居ないときに来てくださってたご年配の紳士。昨日も来て下さってたんだけどさ、裾のお直し取りに。あやちゃん居ないかって待ってたんだけど。で、今日はあやちゃん子供達といるから店には来られませんって申し上げたら、それでも子供の守りしてやるからおいでって待ってたんさあ。」結局その日、私は店には出られず、その紳士は珈琲を飲んだ後、先日試着して気に入ってくださり裾上げの終わったパンツを購入して帰られた、ということだった。古いドイツ製の、コーデュロイのワークパンツだった。
ざわついた気持ちのまま店に行くと、直美ちゃんがメガネの奥で困ったような目をして立っていた。「私がもう一度試着して頂いてからお渡しすれば良かったですね、ごめんなさい。」彼女はどこまでも優しくて可愛い。「1度試着頂いているし、私でもそのままお渡ししていたと思うよ。」と言って2人でため息をつく。1組のお客さんがお帰りになった後、留守電を聞いてみる。確かにKatzの言っていたとおりだった。そして、その声は、先日あんなに和やかにお話させていただいた方のものではあったけれど、物凄くネットリと憂鬱な気分になる抑揚とスピードだった。
憂鬱な気持ちのまま、先日その紳士に教えて頂いていた携帯番号に電話を入れた。もう1年以上もこの町のホテルに宿を取って滞在しているとお話ししていたことを思い出し、そちらにお詫びに伺おうと思ったのだ。電話の向こう側に留守電と同じ空気を感じながら、なるだけ淡々とことらの意向をお伝えし、Katzや直美ちゃん、トシさんたちに励まされ店を出た。
川湯温泉街までの道のりは小雨で美しかったので、少なくともこんなドライブの時間を与えてくれたことに感謝しよう・・など、いろいろと前向きな材料をかき集めようと試みてはみるものの、頭の中では「ホテルK」のロビー、フロント前で空中分解している自分のイメージが容易だった。あのパンツを買っていただくまでの経緯に落ち度は無かっただろうか、などなどもう1度数日前を繰ってみたりもした。とにかく、全てお話しを聞いてから全額御返しして、1秒でも早く帰って来よう、そこに行きついた。心のどこかで、こんな寂しい町の温泉街に、もう1年以上も独りで滞在していることが妙に気になり始めていた。先日お会いした時は、長期滞在されていることとあわせて、その紳士の上品な雰囲気にきっと裕福な方なんだろうな、とお見受けしたけれど、今はなんだかザワザワとした気持ちがする。
「ホテルK」はますます私を憂鬱にさせた。明らかに、この宿の方のものだと思われる錆びたバンが1台停まっているだけの駐車場に車を停め、持ってきた封筒だけを手にガラガラと引き戸を引いた。どうせすぐ帰るのだし、お話しするのには必要ないと携帯電話は車に置いたままにした。入り口に入ると、そこにはイメージしていたフロント、などというものはなく、とにかくロビーだとかラウンジだとか・・・横文字になるようなものは一切無かった。何度も何度も「こんにちは~!こんにちは~!」とどの方向へ叫んでいいのかもわからない様な内装に向って声を出していたら、予想もしなかった方向からお兄さんが面倒くさそうに出てきた。私が「Hさんという方、こちらにいらっしゃいますか?」と尋ねると「あ、それなら221号室」そう言ってまたどこかへ消えてしまった。フロントで受付の方に内線電話でお呼びして頂いて、ロビー内ラウンジにてお話し。もし仮に珈琲でも1杯、なんてことがあろうとも決しておごってもらったりはせず、キッチリ自分で払います!的なことまで考えていた自分というものにその時始めて気がつき、必要以上にゲンナリする。ましてや自分でその方のお部屋にまで行かなくてはならないなんて。「ホテルK」の玄関先にはなんだか鉢植えの品種改良植物の鉢が何十個もあって、こんな季節なのに赤やら黄色やらの花が咲き乱れていた。なんだか、そっちの方からクスクスと笑い声でもするみたいだった。
221号室は200番台だけあって2階だった。2階に上がる前に1階の奥につづく長い廊下とその先の光を見た。映画「シャイニング」を思い出し、すればさっきのお兄さんがジャック・ニコルソンだね、とか思ったらちょっと面白かった。2階に上がるまでに目にする装飾品はかなり時代がかっていたけれど、アンティークと呼ぶには若すぎた。このまま、あと10年我慢すれば、人はないものねだりで今ここにあるちょっと痛々しいモノの数々にこぞって価値を見出すのだろうけど、その10年って意外と長い。剥製のワシとか、なんたら工務店の金文字入りの鏡、伊藤つかさのポスターなどが昭和後期。やっぱりさっきのお兄さんについてきてもらおうかなあ、などと思いながら221号室の前に居た。
ドア、ではなく引き戸だったの221号室は。足元には出前のラーメンの器が、冷えたスープを残して置かれてあった。何故か、この奥にいるのはあの紳士ではなくジャック・ニコルソンではないかという気分になってきた。何度も「こんにちは~!」と叫んでも応答がないので、私の悪い癖でこの奥には犯罪の匂いがする・・・などという空想遊びの方向へもって行かれそうになり、「やっぱし頼もう」と階下に降りていってさっきのお兄さんを呼ぶ。お兄さんはまた面倒くさそうに出てきて、何かの作業中だった様子で手には小さなナタみたいなものを持っていたので、ますますこっちがジャック・ニコルソン説が濃くなる。お兄さんと再び221号室に上がる。「Hさーん、Hさーん」お兄さんは呼びながら引き戸を開けていた。なんとなく引き戸から1歩下がったところで立っていたのだが、「あ、Hさんいたよ」とお兄さんはあっさり行ってしまった。あのナタで何をしているんだろう?
その人はやっぱりあの紳士だった。とにかく目をじっと見てここに来た旨とお詫びを切り出した。言い終えた後、部屋の中を見回すと生活の細々したものが小さな空間にひしめき合っていて急に切なくなった。壁には、あの日に着ていらっしゃった品の良いエンジ色のセーターが掛かっていたし、その方自慢のバッグもあった。そこに、お味噌汁のカップとか落花生の袋とかが混在していて、もうなんだか全てどうでもいいような気がしてきた。突然泣きたくなるとは、こういう時だと思う。
紳士は留守電の時のネットリとした口調で、ドイツコーデュロイパンツのことを切り出した。ポケットの裏部分にザックリとハサミが入っていた。USEDものには、繕い後やこすれた後、前の持ち主のつけたイニシャル・・・などなど気になる人には永遠に気になるけれど、たまらない人にはたまらない欠陥がそこかしこにあるものだけれど、このハサミはいけなかった。気がつかなかったこちらが悪かった、と素直に謝れるような欠陥だった。それで、折角選んで頂いたのに欠陥のあったことのお詫びと、頂いた分のお代を御返しする事を伝えたのだけれど、どうしてもこのパンツが無いと、履くものに困ってしまうと言う。そしてもう既に履いている様子で、ベルト穴には携帯用のバッグがついていた。では、この部分を縫ってきますか、とか、いっそのことポケットは右半分だけということで・・などと私も訳のわからないことを提案しているうちに、その紳士の口調も、あの日、旅の話を聞かせてくださった時のものにすり替わっていたように思う。それで私達は、私が頂いたお代から数割を御返しし、紳士は宿のおかみさんにポケットを繕ってもらう、というところに終着し、この一件は無事落着したのだった。
そこからが長かった。私は一応たしなみとして、221号室の引き戸全開もと、敷居の上にひざまずいた形で座って居た。紳士はベッドに腰掛け、本当に沢山のことを喋った。まず、前半1時間はこの近辺における食堂の味、接客状況の分析、その際の紳士の指導記録および武勇伝について。また、全道ホテル滞在経験に基づいた北海道ホテルの課題と展望、熱海ホテル衰退にみる考察。昨年看板を降ろした某ホテルフロントボーイの行く末・・・などなど。その1時間のうちに私が喋ったのは多分この二言、「そうですか」と「知りませんでした」だけ。そのうちだんだん絶望的な気持ちになってきて、(ああ、誰か気を利かして携帯電話でも鳴らしてくれたらいいのに・・)と思うも、そういえば車に置いてきたんだっけ。(心配してるだろうなあ)と思いつつも、紳士のお話は続く。あまりにもネガティブな話が続くので、こんなんだったらロシア語とかヘブライ語とか、とにかく自分には理解できない言語の話を正座して聞いてるほうがマシ、といった思いが何度もよぎる。その間、紳士は何度もセブンスターに火をつけるそぶりをするも結局つけないという仕種を繰り返し、神経が磨り減る・・。かといって、火をともしてやるほど場慣れもしていない。
「こうなったら、とにかく聞くしかないちや!」と土佐弁で決意する。話が2時間目に突入したあたりから腹が据わってきた。とにかく、「そうですか」「へえ!」「知りませんでしたあ」の三つのローテーションで乗り切ると決める。気がつくと、紳士の話は趣味のイノシシ狩りの話に移っていた。「うみゃーでよ、イノシシはあ」何度もそう言って笑った。そのうち、イノシシ狩りに行ったという内地某所のアルバムが出てきた。見せてくれる写真ひとつひとつがどれも見事にピンボケで、また泣きたくなる。そこで見た花とか、友人猟師の自宅だとか、美味しかったという天丼のアップなどなど・・・。「うみゃあでよ、イノシシは」もう一度同じ事を言ったのでお顔を見ると、ちょっと思い出の中に居るみたいだった。それから、紳士は何年か前に手術をしたというお腹の傷跡を見せてくれた。「そうですかあ」といいながら、私も双子を生んだときの帝王切開の跡を見せて御返ししようかと思ったけれど、もういい大人だからやめておいた。けれど、本当だったら病気のことは解らないけれど、切った後の痛みは凄くわかるということを言いたい気持ちでいっぱいだった。
その後、紳士はお孫さんの写真を見せてくれた。それから、お孫さんにもらったウサギのマスコットも見せてくれた。それは、その部屋の古めかしい電気の線の先に、多分今も能天気にぶら下がっている。
「あんたとこの珈琲な、ありゃうみゃーでよ。」紳士はそう言った。本当にまったく、あの日の紳士と同じ笑顔だった。最後に、「このズボンは、冬物か?」そういって灰色のズボンを取り出してきた。ウールだったので、「冬物ですよ」と応えるととても安心した様子で「ありがとう」と言った。それから、「あんたの双子のT次郎君とF太郎君に会いたーでよう」と何度も言った。「まったく躾が出来ていないのでキカナイですよ」と言うとまた笑った。
帰り、何だか無性に甘いものが食べたくなってクリームパンとミルクティーを買って食べながら店に戻った。店では、Katzや直美ちゃんがとても心配していた。大丈夫だったと告げたけれど、なんだかあの2時間のことは上手に言えなかった。とにかく、とてもとても疲れてしまってすぐにでも屋根裏部屋でねたい気分だった。紳士はお正月もあそこに滞在していると言う。またそのうち、「うみゃーでよう」と言いながら珈琲飲みにいらっしゃるのかなあ。
店をやっていると、時々思わぬ人との人生が交錯する。 あや
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