これまでの旅がそうだったように、今回の旅でも出発前にガイドブックを読み予定を立てるということをしなかった。昔、カナダの安宿で知り合ってその後の行程を共にした女友達は、革張りのスケジュール帳に旅の予定をビッチリと書き込みながらこう言った。「あんたって何にも考えてないのね(笑)」
Mの手を引いてカーリー(女神)寺院の入り口をくぐり、巡礼のインド人の列に混じりながら彼女の言葉を思い出し、現在の彼女の近況を思った。昨年届いた年賀状には、大学生の頃からお付き合いしていた彼と結婚して3人の男の子に恵まれ幸せそうに笑っている彼女の姿があった。その下には、こう添えられていた。
「A、元気にしてる?私は元気です。お互いもうあの頃みたいに自由に旅したりできないけれど、また一緒にロッキー山脈見上げに行きたいね」と。なんだか彼女が遠い国にいるみたいな気がしたのを覚えている。
私が旅の計画を立てないのには特にこれといった考えがある訳ではなく、いつものズボラの延長に過ぎないのだが、一応本屋さんに行ってガイドブックを買うのだからどうでもいいと思っている訳ではないと自分でも思う。それで、一度か二度はページをめくってみるのだけれど、どうしたってイメージが湧いてこないので一向に頭に入って来ない。だから、もうそれはそれでいいのかな、と。
ガイドブックというのは、ファミレスのメニューブックに似ているなあ、と思う。カラフルな写真入りのメニューが沢山載っていて、その中から気に入ったものを注文する。そして暫くすると、メニューの写真と本当におんなじものが出てくるしそれを期待もしている。もし、写真よりお肉が小さかったり添え物が貧相だったりするとなんだかガッカリしたり、時には腹さえたてたりする。
だけど例えば、「子羊のモロッコ風煮こみ、季節の野菜添え。デザートはシェフのひらめきジェラート!」という文字だけのメニューを見て注文、それが出てくるまで、そのお料理を想像しながら待つ時間というのが好きだ。それで、もしも友達の注文したお料理の方が断然自分のより美味しそうに映っても、それはそれでああだこうだと楽しいと思う。何が出てくるか分からないワクワクした気持ちは、何にも代えがたいし、旅だって同じような気がする。予め分かっていることをなぞるよりも、この先に何があるのか行ってみないと分からないなんて、そして辿りつくまでにその場所を想像することが出来るなんて、こんな素敵なことはない。「冒険」って感じがする。
最後まで昼寝しているのか死んでいるのか分からなかった人(ブッダガヤ)
そんな事を考えているといつの間にが私達は列からはずれ、1人のインド人ガイドに案内されるかたちで寺院をまわっていた。寺院内は撮影禁止、土足厳禁なので、言われるがままに靴とカメラを預け、渡されたお香とマリーゴールドで作った花輪を持って境内を参拝していく。そのうちプールのような場所に来て、これは沐浴場(ガート)で、靴下がすっかりびしょ濡れになってしまいMは唇をとんがらせながら黙ってついてきていた。途中で(あれ?)と思ったけれど、もう既にお香も花輪もお供えしていたのでそのまま彼についていった。最終的に沢山のお香を焚いてお供えしている石(だったと思う)を祭ったような所に案内され、ノートに記帳するように促された。見ると、沢山のツーリストの名前と共に2500Rsとか3000Rsとかいう金額が記されていて、それはお布施、ということらしかった。
今回の旅では日程も10日ほどだし、それほどお金にガツガツする必要はないと思っていたが、2500とか3000という金額は1泊270Rsの宿に宿泊している身には法外な数字だった。それに私はここに来るまでもう既に、両替したルピーのかなりの額を路上で生活する子供や赤ちゃんを抱いたお母さん達に渡してしまっていたので、ほとんど持ち合わせがなかった。私が「悪いけどほとんど持ち合わせがないし、帰りのメトロ料金くらいは残しておかないと・・・」と言うと、インド人ガイドは「これは神様へのお布施です、どうか2500Rs!」と詰め寄ってきた。それでも本当に手持ちが無かったので「本当に本当に無いの、花とお香ありがとう!」といってニンマリして見せると、彼はあごをちょっと前に突き出しながら首を右肩の方にクっと傾け、(仕方ないなあ・・・)という風に苦笑いした。この仕草は、旅の間しょっちゅうインド人たちが「OKだよ」という合図の時にするのを目にした。私はこの仕草が大好きだった。要求された額の10分の1を渡してその場を立ち去った。例え金額の折り合いがつかなくても、別れ際には気持ちよくニッコリと笑って手を振ってくれるのが、私のインド人達の印象となった。
それで話は確か「ヤギの断首式」、だった。そう、日本を出発する前に、ある方から「コルカタに行くのなら自分はここが印象的でしたよ」という場所を2箇所教えてもらっていて、その二つだけが唯一予定といえば予定の訪問場所だったのだ。(その方は、正確には「行く」ではなくて「呼ばれて」という言い方をされていたが、この「呼ばれて」という表現も後のち何ともしっくりくる言い方だなあと感じることとなった)
そのうちの一つがこの「カーリー女神寺院」で、もう一つがマザー・テレサが安置されている「マザー・ハウス」だった。
断首式が行われると言う場所を聞いて行って見ると、そこは3、4メートル四方ほどの小さなスペースで、参拝のインド人たちが出たり入ったりしながら、二つ設えてある2本の木と木の間に、自分の首を突っ込んだりしているのが見えた。その木には、インド独特の鮮烈な赤が付着していて、それが血なのか染料なのか見分けが付かなかったけれど、確かにここでヤギの首が落とされるのだろうということは察しがついた。Mは終始黙っていて、その場所から離れるように寺院の壁越しに外の屋台の様子や子供達のケンカの行く末をぼんやり眺めていた。
母ちゃんがヤギの首が切られるところを見たいというので、あたし達はもう随分長い事、お寺の中でその時を待っていました。最初に聞いた時は「9時半から」だったし、その次は「10時から」、その後「10時半から」となって、今がその10時半。
「インドってそういうとこなんだね」と母ちゃんは言うけれど、さっき会ったスイス人のオジサンに至っては「7時半からと聞いてもうずっとここで朝から待っているんだ」ということでした。あたしはヤギが首を切られるところを見る為にこんな所にずっと居るなんてことが信じられなかったけれど、母ちゃんは「多分、どうしても見ておかなくてはならない気がする」とか言って、それであたし達はまだここに居るのです。
「これから先、多分色んなモノを見ると思うけど、見るか見ないかはMが決めていいよ」と母ちゃんは言っていました。「もしかしたら、今のMには見ないほうがいいものだってあるかも知れない」とも。「どんなにそれが本当の事で大切な事だとしても、それを見たり聞いたりするのにはきっと、準備のできた年頃、というものがあると思うから」と。そんな事を言われてもあたしにはさっぱりなのでしたが、とにかくもうじき始まるかもしれないヤギの首が切られるところなんて見たくはないと思っていました。もっと言えば、ここに居るのでさえ嫌なのでしたが、ここはインド、1人でどこかへ逃げ出す訳にも行かず、そういう意味では(あたしはインドに来るのに準備の出来た年頃なのかどうか?)ということから、母ちゃんには日本でちゃんと考えて欲しかった、とそう思うのです。
そのうちどこからか人が沢山集まってきて、あたし達みたいな旅行者も増えて来ました。それで、きっと本当にもうすぐ始まるのだと思いました。その中には日本人のお兄さんも居て母ちゃんにしきりに何かをお喋りしていました。「11時からだってえ」母ちゃんがあたしを振り返りました。あたしは人だかりの後ろの方に移動して、人指し指で両耳の穴をふさいで見せました。母ちゃんは、「ゴ・メ・ン・ネ」と唇をゆっくり動かして人だかりの中に埋もれてしまいました。そうこうしていると、インド人のオジサンが紐に繋いだヤギを連れてやって来ました。そのヤギ達はどれも黒くて、思っていたのよりもうんとうんと小さな子ヤギでした。これから自分の身に起こることなんてきっと知らないのでしょう、つま先だって跳ねる様にしてオジサンの周りをクルクルやっているのでした。毛が黒い分、小さな可愛い目がとてもはっきりと見えました。
いよいよ断首式が始まろうとしていた。生け贄となる子ヤギは1頭だと思っていたが、まず3頭が紐に繋がれてやって来て、その首にはマリーゴールドの花でこしらえた花輪が下がっていた。もう1人のインド人が子ヤギの体を水道水で洗い流し、これは清めているという事らしかったが、その過程は淡々とまるで畑で採れたばかりの野菜でも洗うみたいに1頭、また1頭と流れ作業のようであった。私は人ごみの中を背伸びして、外壁にもたれて事が終わるのを待っているMの姿を探した。彼女は私の視線に気づいたが、瞬きひとつせずこちらを見据えていて、その表情は、困っているとも怒っているとも怯えているともとれるようなモノだった。
(Mを連れてきて良かったのだろうか?)日本を出発する前から自分に問うていたことがまた頭を過ぎっていた。Mはここ2日、ほとんど笑わなかったし口数も少なかった。
タンタン、タタタン、タンタン、タタタン!と安価なスネアドラムの様な太鼓の鳴る音に我に返ったと同時に、人ごみから「オオ!」とか「アーー!」というざわめきが起こり、私は既に1頭めの子ヤギの首が落とされたのだと知った。人々の足の隙間から断首台の方に目をやると、さっきまで跳ねていた子ヤギの首がこちら側にあり、その肢体はあちら側にあった。首からは臙脂色の血が先ほど身を清めた時の水に混じって一筋の川となって流れ、肢体の断面からは血が噴出しているのが見えた。4本の足はまるでここから逃げ出そうとでもするかのように、激しく空を駆けていた。私はその様子を眺めながら
今、このヤギは生きているのだろうか、それとも死んでいるのだろうか?それともその境目にいるのだろうか?とそういう事を思っていた。心の中ではなく、頭の後ろの方でそう思っている、そんな感じだった。
目の前で起こったことを気持ちが処理できなまま、次のタンタン、タタタン!が始まった。足を紐で縛られた2頭めの子ヤギが、断首台の2本の木の間に首を挟まれようとしていた。2頭めの子ヤギも自分の身に起こることを理解しないまま従順に台に首を横たえ、息を飲む間もなく斧を持ったインド人が大きく振りかぶった。私は最後までその場面を正面から凝視することができず、前に立っていたスイス人のオジサンのふくらはぎが子ヤギの首部分に被るように視線を移動しながら、それでも一瞬あとには視界に入ってくる子ヤギの頭を見ていた。今度はその首からも激しく血が噴出し、四肢はやっぱり空を駆けて行くのだった。
そんな風にして子ヤギ達が次々と生け贄となり、最後にさっきまでの子ヤギとは比べ物にならない程大きな茶色い毛並みのヤギが連れて来られた。同じようにマリーゴールドの首輪を下げ、身を清められたそのヤギは、激しく鳴いて抵抗していた。何故だかその泣き声が思い出せず、今となっては音声のない映像でも見ているような感覚でその時の様子を思い出す。
激しく抵抗するも2人がかりで台に頭を挟まれ、無情なドラムのリズムが終了すると同時にその首は落ちた。大きいヤギだったにもかかわらず、それほど血を見ることもなく、その四肢も何度かピクリと前後した後、すぐに動かなくなった。断首式が終了し、人だかりがほどけていった。その先には先ほどと同じ面持ちをしてこちらを見つめているMが立っていた。
「ありがとう、終わったよ」
私がそう言うと、Mは私の手を取ってギュッと握った。「見た?」そう聞くと
Mは激しく首を横に振った。「そうだね、そうだよね。」と言いながら私達は歩き出した。
「母ちゃん、喉が渇いたよ。」
「そうだね、ラッシーでも飲みに行こうか?」
もう断首台のまわりには人だかりはなく、物乞いのおばあさんだけが小さな器を手にして座っていた。私は5ルピーをその中に入れてから、またMと手を繋いで歩き出した。私達の足元には、その後引きづられていったヤギ達の鮮やかな血が、何本もの筋になって寺院の裏手の方まで続いていた。その筋にMは気づいていたと思うが、彼女は視線を落とすことなくその鮮血の上をしっかりと歩いていった。相変わらず何も喋らなかったけれど、その横顔は昨日までとはどこか違っていた。見えない何かに刃向かっているようでもあり、怒っているようでもあり、優しくもあった。自分の娘ということを忘れ、「なんて綺麗なんだろう・・・」と、そう想った。
DAY3に続く・・・・・
インドには行ったことがありません。でも今、カーリー寺院にいたような気持ちになりました。二人のそばの人だかりで、Mちゃんから目が離せなくなっているような。
そんな気持ちで読んでいった最後のそのビックリした横顔があまりに澄んでいて、
ドキドキした分やっぱりちょっとだけじわっとします。
小学生の時、鶏をしめるのをみたことがあり、
しかもその鶏をじいちゃんちまで手に下げて持ち帰ってこなくてはいけなくて、
袋を持つ手がブルブル震えていたくせに、食べたザンギが本当に美味しかった、あの感覚を思い出しました。
こんな私、可笑しいね。
瑞々しい文章をありがとう。
私も今連れて行ってもらったよ。コルカタに。
投稿情報: Mootookoo | 2011/02/18 18:07
mootookooちゃん
ありがとう!mtkちゃんとは会ったこと無いのに色々不思議な感覚になるときがあります。私に見えていることがmtkちゃんにも見えるような・・・・。お互いの子供時代の話したら、きっと凄く面白いことになりそうだし、私達のルーツが見える気がするね。近い将来、そんなものを持ち寄って一緒にライブできたら嬉しいな、とそんなことを思ってます。ありがとう、いつも!!
あや
投稿情報: あや | 2011/02/20 09:49
あやちゃんへ ふきこ
とっても、久しぶりです!!
変わらずお元気ですか?
なんだか、読んでいるうちに本当に引き込まれてしまって、こんな時間になってしまいました。どう、言葉にしていいのかわからないんだけど、なんか泣きたくなってしまいます。
悲しいとかじゃないんだけどね。
心がジンジンしてるというのかキュンとするのか…。あやちゃん凄い!!
辻谷家の子供達にも、しばらく顔を見ていなかったけれど、大きくなったねぇ。
自分を見つめ直したくなりました。
本当にありがとう~!これからも、ブログ見させてくださいね。
とっても楽しみにしています。
ちなみに…パラゴンの泊まったお部屋、Wの角の部屋で、鉄格子の窓…部屋の前のあの風景…同じ部屋に泊まりました!14年前と雰囲気が変わってなくて
びっくり!! 行って来たんだねぇ~♪
近いうちに、お話聞きに行きたいです!
ふきこ
投稿情報: apappo こと ふきこ | 2011/02/21 02:54
apappoこと、ふきこちゃんへ!
ふきちゃん、元気ですか?ありがとう!そうなんだ、14年前にあすこの部屋に泊まったんだね。私もジーンとしちまいました。まだ1人の娘、であったふきちゃんの旅はどんなだったんだろう?ふきちゃんと言えば、ピラミッドのお話しの印象が強かったからインドのことは思いつかなかったけど、そうなんだ、居たんだあすこに!
今すぐ峠越えて飲みに行きたい気分だよ。春になったら行くね。なんか面白いことになってきたね、多分。まだまだ行こうね、その先へ。ありがとう、近いうちに会おうね!!
あや
投稿情報: あや | 2011/02/21 23:00
文さん、先日はありがとうございました。旅をするのに明確な理由がなければ行ってはいけないのか?「行きたい」と思ってもいろいろな要因で行けなくなる、閉ざされてしまうこともあります。僕もツアーで外に出たことはありません。バックパックに南京錠…空港で荷物が出なくて現地で洗面道具を購入して紙袋で旅したこともありました。異国の地を旅することは「○○行ってきた(観光名所)」というものでなくある側面では、身体いっぱいにその地の風や町のにおいなどが染み込んでいくものだと思います。その何気ない記憶が蘇るには時間が必要です。麦ちゃんは間違いなく何物にもかえがたい宝物をその身体に染み込ませたのだと思います。今は自分と世界の繋がりを客観的に言語化できないところはあると思いますが…言葉は大切です。でも大人は言葉で嘘をつくことがあります。だから言葉を上手く操れない子供のほうが嘘がなく信じられると思います。彼女の目が写真が旅の中での心の変容を伝えてくれています。
文さん、ゆっくりでいいのでこの旅の続きを綴ってくださいね。辻谷家のみなさんいつもありがとう。
投稿情報: ABO型選手 | 2011/02/23 23:42
ABO型選手
いつも遠くから辻谷商店に来てくれてありがとう!先日は選手が「魂の話をしにきている」と言ったのが印象的だったのと、嬉しかったのを覚えています。
正直、お店の情報でもなく全く個人的な旅の出来事をここに綴ることに対しては、そのことにかかる多くの時間とそれと引き換えにおろそかにされる様々の事を考えると、意味があるのだろうか?と思うことがあります。けれど、選手はじめ、予想以上に多くの友達や読んでくれている知らない方達が気持ちを寄せてくれる事に背中を押されて書き続けています。ありがとう。
選手のことはずっと前から知っているけれど、まだまだ知らないことが沢山あると思います。そのノッポの体の中に、私には耐え切れないであろう沢山のことを抱えて大きくなったのだろうと、想像するばかりです。だから、あたなの書いたものも読みたいし、もっと話もしたいと思います。そう、魂の話をね。
紙袋で旅っていいね。その心と体とパスポートさえあればどこまででも行けるもんね。では、話の続きを楽しみにしています。まったね♪
あや
投稿情報: あや | 2011/02/24 09:24