シュラフに潜り込んだと同時に、Mはもう寝息をたてている。考えてみれば、日本時間で現在午前2時半。夜中に到着したため、このホテルの全容も自分達以外にどんな旅行者が宿泊しているのか、もしくはガラ空きなのかも全く分からない。分かっているのはここはインドのコルカタで、Sadder St.の安宿の一階突き当たりの簡素なダブルベッドの部屋(1泊270Rs 1Rs=約2円)、壁にはこの部屋をかつて利用した旅人達が残していった落書きがある、ということだけ。
私は荷物が散らばったままのベッドに仰向けになり、今、自分の身体がインドのあの地図の上に在る様子を天井に映した。そして(なんでインドなんだろう?)と考えていた。
インドには特別な憧れがあった訳でもない。インドの都市といえばコルカタかデリーくらいしか浮かばないし、その二つだって地図のどのあたりにあるかなんて知らなかった。ただ一つ、もしインドに行くことがあったら、最初は「仕入れ旅で」、というのは避けたいなという思いはあった。仕入れ旅って本当にハードで、マーケットを朝から晩まで歩き通し、スプーン1本にも根気強い値段交渉などをして、そうしてやっと手に入れた雑貨もろもろを自分達で担ぎホテルの部屋まで搬送、またまたマーケットに繰り出す、それを幾度と無く繰り返す・・・それから仕入れたものの細かいリストを作成し、割れないように梱包してくれているかを逐一気にしながら何とか発送。にもかかわらず、成田の税関で引っかかれば、余りに高い関税に、せっかく仕入れてきたモノを泣く泣く廃棄・・・などという一連の作業が待っているからである。だから、「なんでインドなの?」と聞かれても上手く答えられなかったし、旅自体に特に目的があった訳でもない。それから、仕事や子育てから開放されたいとか、そういうことでもなかったと思う。それにしては、あまりにも自由奔放な毎日を送っているのだから。
Mは相変わらず同じ体勢で眠っている。8歳にしては小さな彼女は、シュラフに包まれ更に小さく見える。成田を出発してからというもの、彼女はあまり喋らなくなっていた。バンコクの空港で乗り継ぎ待ちをしている時、私は彼女の気が紛れればと思い、「セロ弾きのゴーシュ」を朗読した。聞いているのかいないのか全く分からないので、声を更に大きくして朗読した。その時、目線だけを一瞬こちらによこして、大きなため息と共にまた空を見つめることに終始していたMの横顔が頭から離れなかった。それでも先を読まずにいられなかったのは、多分それが自分の為だったからのような気もする。
思えば、北海道を出発してからここコルカタに着くまで、私は残してきた他の小さな3人のことを殆ど思い出さなかった。その事に気づいた時、今、自分のしている事やこれから向おうとしている事は一体何なんだろう、という思いが湧いてきた。自分に分かっているのは、昨年末に突発的にインドビザを申請し、チケットを手配し、予定通りに飛行機に乗り込み、今コルカタに居る、という事だけだった。子供達の事を思い出さなかった自分というものに軽くショックを受けながら、私は思いつくままに沢山のことをノートに書き付けていった。あまりに乱雑な為、後になって殆どまともに読み返すことができないのだけれど「母さんは・・」というフレーズがやたらと並んでいるページがあって読むに耐えない。
初めてコルカタの街に降り立った時のことは一生忘れられないと思う。空港を出てタクシーに乗り込み、ガラスのない窓から排気ガスの匂いの混じった風を顔いっぱいに受けた時、私は自分が今(懐かしい場所に帰ってきたのだ!)という感覚で胸がいっぱいになった。タクシーがどんどん加速し、運転手がインドポップスのボリュームを上げるにしたがって、自分の心がどんどんほどけていくのを実感した。(ああ、きっと自分はこの街に気に入られているんだなあ・・・)と確信した。思わず「やったー!!」と叫んで両手を挙げた時、運転手が笑いながらが後ろを振り返り、Mは息を詰めた表情でこちらを見ていた。
1月7日 KOLKATA(コルカタ)
あたしが目覚めた時もう母ちゃんは起きていて、相変わらずノートに物凄い勢いで何かを書き付けているところでした。「どこに居るかわかりますかあ?」と言うのでしばらくシュラフの中でぼんやり考えていたけど、壁の落書きを眺めているうちに昨晩コルカタに到着した事を少しずつ思い出しました。そうしてあたしは、もう一度シュラフに潜り込まずにはいられず、それからまた眠ってしまったようでした。
次に目覚めたときは、インド時間の朝6時過ぎでした。「今日はどこへ行くの?」と聞くと「予定は未定」という返事が返ってきて、「それどういう意味?」と聞き返すと、「どこへでも行けるし、何だって出来るって意味よ」と言うことで。あたしはもうこれ以上どこへ行くのかとうんざりしてしまいました。窓のないあたし達の部屋は、母ちゃん曰く(まるで寂しい病室みたい)でした。母ちゃんのおばあちゃんが最期を過ごした病院の部屋が、まるでここにそっくりだという事でした。あたしはそういうことをイチイチ子供に聞かせる母ちゃんという人がなんだか良くわからないし、いつもゲンナリしてしまうのでした。
あたし達が泊まっていた部屋の前の通路。白い鳩が沢山やってきます。
「一箇所だけ行ってみたい所があるんだけど」母ちゃんは言いました。
あたしはフェルト帽をかぶり、母ちゃんは貴重品とカメラだけを提げて、薄暗いホテルの部屋から出ました。昨晩は気が付かなかったけれど、このホテルには沢山の宿泊客がいるようで、今日分の宿泊費を払いに受付に行くと様々な国籍の旅人達がお喋りしたり、本を読んだりしていました。その1人ひとりとイチイチお喋りする母ちゃんを待つ間、あたしは昨日くぐってきた入り口を見つめていました。太陽の光がその狭い入り口から薄暗いホテルに2メートルほど差込み、遠くに街の喧噪が渦巻いているのが聞こえました。
「ねえ母ちゃん、行こうよ」
あたしがそういって手を引っ張ると、母ちゃんはとても嬉しそうでした。「ね、楽しみ?楽しみ?楽しみ?」と何回も聞く母ちゃんを連れて、あたしはコルカタの街に出ました。それから今度は、「怒ってんの?怒ってんの?怒ってんの?」と連呼している母ちゃんの手を引いて走り出したのは、そんな母ちゃんがとっても恥かしかったからなのです。インド人達があたしたちを見て笑っていました。
あたし達はSadder St.を抜けて、メトロ(地下鉄)乗り場を目指しました。St.には沢山のカフェやツーリストの為の予約センターや雑貨屋や果物屋や・・・・・色んな店が並んでいて、路上には物売りや物乞いの人やリクシャーや野良犬や印刷物や・・・様々な生き物やモノが溢れ返っていました。「コンニチハ、ニホンジンデスカア?」と声をかけてくる沢山のインド人を交わしながら早足で目的地を目指しました。
「ねえ、どこに行くの?」
「カーリー寺院ってとこ」
「何があるの?」
「ヤギの断首式が見られるんだって」
「・・・・・・」
「ヤギの生にえの儀式があるんだって」
「・・・・・・」
「ヤギをね、女神さまに捧げる為にその首をはねる儀式があるんだって」
「・・・・・・」
メトロPARK STREET駅からぎゅうぎゅう詰めの地下鉄に乗り込み、あたしたちはKALIGHAT駅で下車。母ちゃんは時々あたしのことを振り返りながら、どんどんどんどん歩いて行ってしまう。ますます人の数が増えてきて、何やら紅い色をした箱入りの商品を売る露天が軒を連ねる通りに来たとき、人の波がある方向に流れていくことに気がつきました。その先には白地に紅い縁取りの大きな建物がありました。
「きっとこれがカーリー寺院だね!」
母ちゃんが言いました。あたし達はインド人の波に混じって、その白い建物の中へ入って行きました。あたしはもう、泣き出したい気持ちをこらえるのがやっとなのでした。(はやく帰りたい)そればかりを思い、出発前に見た東京ディズニーランドのことばかり考えていました。
INDIA~DAY2 ②に続く・・・・・・
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