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弟子屈は4日前あたりから本格的に冬の入り口に立ちました。スーパーマーケットには漬物樽が並び、ホームセンターにはダルマストーブ、薬局には保湿クリーム、本屋には編み物の本、魚屋には荒巻き鮭、辻谷商店には色々いろいろ・・・・です。
色々いろいろ入荷しているにもかかわらず、何故かお知らせしないままなのですが、どうも自分は入荷案内をする、ということにあまり熱が入らないということにウスウス気が付き始めました。それで、そのことについて考えてみたら、入荷の数が膨大なのに加えて、ご案内できるまでの時間・能力的余裕のなさにも思い当たる節があり、それにも増してお店に来て頂く前にほぼそこに在るものがインプットされている、というとが残念でならないのです。色、形、プライス、などが予めお知らせされ、まさにそれを購入、となればもうそこはカタログショッピングにはかなわない訳で、やっぱり通販のお取り扱いのない辻谷商店では、イメージを膨らませてもらえる範囲のお知らせがしっくりくるかな、と思います。
ファミリーレストランの写真入りメニューは、本当にほぼ同じものが同じ器で提供されてて案心だけれど、筆文字のお品書きだけの食堂に行って、文字メニューから味、香り、佇まいまでを想像し注文、いざお料理が出てきたら「なんだ、おまえの注文したモノのほうが美味そうだな」などというのは、注文してから出てくるまでの時間も楽しい。だから、辻谷商店に到着するまでの道中も「どんな風なものが並んでるかなあ」と楽しんで頂けたらこれ、幸いです。そのかわり、店の中のことは「ワシラキモチ入れてやっているけんね!」という心持です。どうぞ、宜しくお願いします。
<新入荷しているもの>
○EUROPE USED・・・ドイツ・フランスものワークJK、PT、サーマル、
アンティークナイトドレス、レース、リネン生地、ボタン
パタゴニアフリース、マウンテンパーカ
マウンテンブーツ、UGGブーツ(KIDSものも入荷)
コート、帽子、ベルト などなど
○食品・・・ウォンカバー、ホットチョコレイト用チョコ付き棒、定番のジャム、エスニック調味料 などなど
○肌まわり品・・・アルガンオイル、蜜蝋のリップクリーム、オリーブ石鹸、ばら水 などなど
○布もの・・・アイルランドデザインの毛布(おっそろしく温か!)、ひざ掛け
○音まわり・・・CDたくさん、ドキュメンタリーDVDちらほら(私の一番好きな棚!詳しい案内は後日)
などなど、などなど、などなど・・・・・
話は変わって、ここ1ヶ月「シゲちゃん」にご縁のある私です。いくつか前の記事に書いた、亡くなった祖母のシゲオことシゲちゃん、一昨昨日お邪魔して素敵なバイブレイションを頂いた、シゲチャンランドのシゲちゃん(お呼びするときは重さんです!もちろん!)、そして本日8年ぶりの再会となった、札幌のエスニック雑貨屋の王道を行く敏腕バイヤーのシゲさん。「もう、他にシゲと名乗る者はおらんか?おったら一歩前へ出なさい!」とは言いませんが、もし今週末お客さんでシゲちゃんという方がおりましたら是非是非、声をかけてくださいね。なんか嬉しいから。先着5名のシゲチャンにはチャイ1杯ご馳走します。
で、シゲさんですが、札幌で「夢横町」というエスニック雑貨屋を経営されている方なのですが、今月末30日(土)31日(日)の二日間、辻谷商店内で店舗内店舗をやって下さいます!シゲさんがインドやネパールから買いつけてきた品々が沢山並ぶ予定ですが、今日はシゲさんが到着してからお茶を飲んだり焼肉に行ったりしたにもかかわらず、仕事の話は殆どしなかったため、詳細は未定です。明日、詳しくお知らせいたします。また、シゲさんは来週は中標津の東武ショッピングモールにて催事に参加される予定です。この時に、出来れば地元の敏腕店員として女性アルバイトの方を探しているとのこと。時給は「700円かなあ」とおっしゃっていました。詳しい事はあわせて明日お知らせいたしますが、我こそは!と思われる女性の方は一度辻谷商店までお電話いただけましたら、シゲさんにお取次ぎいたします。
シゲさんと、KATZ。ファインダー越しに同じ匂いがするのは、二人とも今だエコノミークラス・バックパッカー・バイヤーだからだろうか?だろうね!
それでは皆さん、また明日!もうすぐ夜が明ける!
あや
皆さん、今晩は!弟子屈は日に日に秋が深さを増し、外には雪虫が舞う季節となりました。突然ですがお知らせです。僕達の大切な友人であります、アダム・デカプリオ君が5年間を過ごしたこの地を去り、故郷であるアメリカ合衆国テキサス州に帰郷する事となりました。そこで、明日の10月22日金曜日にアダム君の『送別会』をささやかながら、夜19時より辻谷商店にて行いたいと思います。題して『Mr.TEXAS Good-Bye Party(邦題)テキサス・ブロンコよ永遠に』です。どうか皆さん、突然ではありますが、奮ってご参加下さいます様、よろしくお願い致します。アダム君と特に親交の深くない方でも、秋の夜長を何やら楽しそうなので行ってみっか!な方でも、最近奥様とちょっと冷めて来ているんだよねー、、な方や、おっ!辻谷商店、夜に行ってみたーい、、という方、ちょっと遠方に住んでいらっしゃる方でも、1時間か2時間くらいドライブすればよろしいと思われますので、どうか重ね重ねですが、ご参加下さい。もちろん、お泊まりになって頂く事も出来ますので、御心配なくご参加下さい。明日のシステムなのですが、、、
参加費 お一人様¥1000 飲み物は持参、ただし辻谷商店でも生ビールを店主太っ腹プライスで販売致します。持ち込み、差し入れ、大歓迎です。参加希望の方は、辻谷商店015−482−4020まで明日お電話下さいませ。または、このブログのコメントの欄にメッセージをお願いします。もちろん気が向いての突然のご参加も大歓迎です。開宴は19時を予定しておりますが、特に終わりの時間は決めていませんので、いつでもご参加下さい。当日のお手伝いも大募集、大歓迎であります。2010年の秋の夜長を辻谷商店で、アダム君をおつまみに楽しく過ごそうではありませんか!!まったく、アダム君と面識の無い方や、私達と、特に親しくない方でも構いません(平和な方限定)。明日は歌って呑んで笑って、踊ろうではありませんか!考えてみると、こんな楽しい事ってなかなかありませんよ!辻谷商店プレゼンツ、『テキサス・ブロンコよ永遠に』明日、開宴です。晩秋の弟子屈町でお待ちしております。最後になりましたが、私の大好きな沖縄の言葉でこのブログを閉めたいと思います。それは、『イチャリバチョーデー!』(出逢えば兄弟!)です。
皆さんのご参加、お待ちしております!
ミーナサーン、キーテクダサーイ。
道東は冬に近づく事にあっさり降参したかのように、一気に冷え込んだ朝を迎えました。そちらの町はどんなでしょうか?自宅の庭の紅葉も、ハラハラと地面に降り積り、今年は紅くなるのも待てない様子で、庭一面がオレンジ色に染まっています。その上に横になってみたい衝動に駆られ、子供達がKatzの車で保育園に出発するのを見届けてから、そのオレンジの上に横になってみました。丁度薄いオレンジがかったシャツの上にモスグリーンのカーディガンを着ていたので、「保護色」とか言って。この時、実際に「ホゴショク」と音にしてみると妙に恥ずかしく、妙に納得が得られる訳ですが、こんな気持ちは小さい頃からあまり賛同を得られず笑いの種になることを学習してきたためそんなに大きな声では言えません。
一昨日の夜から、自分のPCが何故かインターネットに接続できなくなり、そうなると殆ど懐かしのワードプロセッサ状態ですが、無いならないで何にもコマッッタ事にならないところが自分らしいなと可笑しくなりました。これを書いている今は、KatzのMACを借りている訳です。使いやすくてビックリです。これには持ち主が沢山の音楽を入れているので、好きなのを聴きながら書いたり読んだりできて素敵です。それで、今は浅川マキさんの「にぎわい」を聴いています。この曲を聴くと、極ごく幼いころ、実家近くの海岸沿いにあったまるで映画のセットの為のような、やや場違いな佇まいのバーの事を想い出ます。数年前まで、このバーの事は自分のいつもの空想が創りだしたモノだろうと思っていたのですが、父に話すと実際にあったと言う事。ということは、自分の記憶の中にある、あのタキシードを着たバーテンさんや、ベルベットの紫色をしたカウンター前の丸イスは実在したのだろうか。。。などとますます訳がわからなくなり、それ以上を尋ねる勇気がありません。そのバーの在った場所、大きさ、入り口ドアーの半透明ブルーやそこに張り付いた丸い大きな取っ手のことなど、どうつじつまを合わせるべきか。このバーがたて壊しになった後の瓦礫にまで記憶がある訳で、その頃もしかしたら今の自分よりも若かったであろう父親のナイトライフにまで想像の扉が開きそうになってしまいます。
それで、話はいきなりAコープ弟子屈店午後5時46分にまでワンバウンドする訳ですが、先日そちらのレジで会計待ちをしていたところ、一人の現場仕事帰り風の若い男性客の話ですね。その人は買い物かごは持たずに、手にお惣菜コーナーのお弁当と、発泡酒を1本を持っていたのですね。それで、かごを持ってないものだから、ふとした瞬間にその発泡酒がガツンと、床に落下してしまったのです。そして、独り言のように「どうしたらいいだろう?」と呟いたのです。この発言は、明らかに今まさに一つ前のお客さんの会計に集中しているベテランレジのおばさんに聞こえていた様子ですが、レジおばさんは決して顔を上げる事なく、会計を続けていました。そのレジおばさんの連れない態度にどちらかというと賛同していた私は、発泡酒落下男からやや距離を置くべく、一歩さがりつつも、ものすごくその顔に視線を集中したのですね。その落下男は「どうしたらいいだろう?」とまた呟いたので、本能的に目線が合わない様にちょっと下を向いたのですが、心の中では「買うやろ、ふつう。」「買うやろ、ふつう。」ってなんだかドキドキしてしまってまたいつもの癖で、体温がドンドン上昇していくのがわかりました。それで、思い切って顔を上げて、目線で「買うやろ、普通!」ってテレパシーを送ってみたのですが、あっさりその男は酒類コーナーへ取って返し、落下発泡酒と引き換えに別な1本を持ってまたレジに並んだのですね。しかも、もう一度私の前に。その瞬間、私の視線はさっきからレジに集中しているベテランレジおばさんに流れ込んだ訳ですが、私の期待もむなしくレジおばさんはやっぱりレジスターから顔を上げることなく、程なくしてこの男の手には落下していない発泡酒とお弁当が残った訳です。
いいようの無い無力感と裏切られ感に、グッタリしたままAコープを後にしたのですが、せめてあの発泡酒を買ってくるべきだったのだろうか、それともあの男に、追いかけて行ってでも「買うやろ、ふつう」というべきだったのか。。今もわからないでいます。。確かなことは、ロシアンルーレット的に落下発泡酒を手にしてしまった罪なきどこかの誰かが存在するということと、多分落下男と自分は友達になることはないだろう、ということだけです。
自宅ロフト部分で睡眠中の末娘に夜中の授乳を済ませて戻ってくると、もう午前3時半。外はグンと冷え込んできたらしく、ストーブの前に張り付いていないとなんとなく心細い。グラスにほんの少しだけ残っていた赤ワインを仕上げてしまっても、もう頭はすっかり冴え冴えしている。なんでこんなくだらない事を書くために起きているのかなあ、と思う。今日と明日の間にクッキリとした境目をつけられないまま毎日が連続していきます。時刻でいえば、午前12時が今日と明日の境目だと言えますが、感覚的にはどの辺りが自分にとっての今日で明日なのだろう。今、この午前3時35分はまだ今日に属しています。明日との間に必ず短い夢が横たわる様になったのはいつからだろう。今日はどんな夢を見るのかなあ。。。そろそろ眠るとします。今日もいい1日でした。
明日はどんな日になるだろうなあ。楽しみです。 あや
。
親愛なるSちゃんへ
Sちゃん、すいぶんとごぶさたしてしまいましたが、お元気ですか?私は元気元気です!昨日雪虫が飛ぶのを見ました。なので、こちらは冬が大股でどしどし近づいて来ている様子。そちらはどうですか?もう金木犀の花は散りましたか?子どもの頃、金木犀の匂いを追いかけて、Sちゃんと細い路地を自転車でいつまでもいつまでも走ったことを想い出します。
おじちゃんやおじいちゃん、おばあちゃんもお元気ですか?おじいちゃんやおばあちゃんは、私達が子どもだった頃もちゃんとおじいちゃんとおばあちゃんだったのに、今もまだおじいちゃんとおばあちゃんだなんて、何だか凄いですね。そういえば、Sちゃんのおじいちゃんの左足の膝には、戦争の時に受けた銃弾が入っていると言って触らせてもらったことがあるけれど、アレはまだ、入ったままなのでしょうか?
2年前、Sちゃんちにお邪魔したときはもう「○○酒店」の看板はなくなっていて、行く前はきっと寂しさでいっぱいになるのだろうと覚悟して行ったけど、そんなでもありませんでした。私にとっては全てが昔のまま、ただ、大きな冷蔵庫にはビールがもう入っていなくて、そしておじちゃんとおばちゃんの姿がないのが不思議でした。あの頃は、いつでもバヤリースとかキリンレモンがあって、それを買うともらえたりする景品が何でも手に入るSちゃんが羨ましかったし、おばちゃんがこしらえてくれるお昼のチャーハンがなんとも言えず美味しかったことを覚えています。なんてことはないチャーハンなのに、どうしてウチのお母さんのよりこんなに美味しいんだろうってずっと不思議でしたが、そのヒミツは味の素だったんだと大きくなってから気がつきました。うちにはなかったから、味の素。
仕事の方はどうですか?相変わらず、言語の違う日本人の皆さんに苦戦していることでしょうか?間違っていると思ったら、言わずにおれないSちゃんのことだから、大変な場面もいっぱいあると思うけれど、やっぱりこれは土佐の女のサガということで、まっすぐ顔を上げて闊歩するのみ!なのです。そうなのです!
私の方は相変わらず店という所でゴソゴソやっていますが、年々楽しくなる一方です。でも、北海道の右の真ん中らへんのこのアタリに住むようになって、自分の立ち位置、みたいなものがシックリくるようになるまでには、何年もかかったように思います。そして、今だもってなぜ今ここに居るのかということが鮮明ではありません。どんな年月をもってしても、Sちゃんも暮らす高知という場所以上に私を自由にしてくれる所はないのではないかと、10年以上経った今でも思います。
ごぶさたしている間、私は毎夜毎夜、焚き火のとりこになっていました。また、知り合いの方がうちの近所に設営している軍用テントの佇まいと、快適さにノックアウトされ仕事もそぞろに夕方からはそちらへ足が向いていたという訳です。ここには屋根と壁とダルマストーブとベッドがあって、それ以上でもそれ以下でもなく、「そこそこ」な感じがとても気に入りました。新しい家を建てるくらいなら、この軍用テントが欲しいと本気で思っています。Sちゃんもきっと気に入ると思います。
この頃は、何だか嬉しいことや愛しいことが日々沢山あって、それと同時に切ない気持ちもあって、そんな時には焚き火やロウソクの灯りが丁度よいのです。あまり喋り過ぎないのもいいものですね。
これが私を虜にしているフランス軍用テントです。中はとっても広くて温かく、完璧です。
ロウソクの灯りはいいものですね。なぜかは上手く言えないけど。
そういえば、今日は珍しくお店でガッカリする様な事があったんです!先日、KATZが東京に行ったときに、青山のお友達のお店で見せてもらって選んできた首飾りが、無くなってしまったのです。それは、紀元前2,3千年前の発掘ガラスの小さな欠片と、青い美しい石を連ねたネックレスを組み合わせて出来た素晴らしいもので、眺めているだけでもうっとりするような想像の余地のたっぷりある首飾り。何度も撫でたり首にあてたり楽しんだあと、アンティークのショーケースの中に大切に飾ったのです。
夕方、そのショーケースをご覧になりたいという方がいて開けようと思ってみたら、首飾りはもうどこにもありませんでした。その時は、あまりのショックにギューっと両目をつぶることしかできなかったくらいです。Sちゃんには、私のこの時の様子が、手に取るように見えるでしょう?
首飾りが無くなったということよりも、首飾りを持って行ってしまった人が、いくらかの時間を同じこの場所に居たということが想像できず、しばらく呆然としていました。呆然としていたら、突然お客さんが近寄ってきて「今日は、大安です」って言うんです。それで、「大安なんですか?」って応えたら「大安です」って。それで、その人はおもむろにポケットからブレスレットを取り出して私に見せたんだよね。「???」「大安です」って。「頂けるんですか?」と尋ねたら、「ハイ、スミマセン」と言って、私の手首に巻いてくれました。
それは5種類の石や木から出来ていて、その人はその中の透明の石を指差して「水晶です」って言いました。「水晶ですか」「水晶です」みたいなやり取りが5往復くらい続いて「おそろいです」って、その人の手首に巻かれたブレスレットを見せてくれました。「おそろいなんですね?」「スミマセン」・・・・・
その人は「スミマセン、スミマセン」を何回も言って、周りのお客さんもそのスミマセンに反応するくらいまで連呼してから、帰っていきました。
その時は、訳が分からず泣きそうになったけど、Sちゃんにこれを書いている今は元気です。そして、左手首のブレスレットの水晶が、綺麗です。なんで、こうなったかは分からないけど、紀元前2,3千年の時を越えて、発掘ガラスが水晶のブレスに早がわりし、今、ここにあります。心は晴ればれです!
これが、このところの私の近況です。Sちゃんの近況もまた、聞かせてください。では、今度高知に帰った時には、また仁淀の河口で凧揚げしましょうね。いつになるかな?
それではまた、愛をいっぱい込めて・・・・・ あや
今は亡き母方の祖母から、たった一度だけ年賀状を受け取ったことがある。実家のある高知から、ここ弟子屈に移り住んで何年後かのことだった。送り主である祖母の住所と名前は、明らかにどなたかに代筆頂いて書かれたものだと分かったが、見るからにたどたどしい筆跡の~あけましておめでとう~の文字に、一瞬にして(これは祖母のものである)と確信した。意識より先に胸に込み上げるものがあり、込み上げたまま目からポロポロポロポロと流れ落ちた。
人生の中に、戦争という時代を織って生きてきた祖母は、読み書きがほとんどできなかった。一人娘であった私の母が嫁いでからは、何十年も一人暮らしでやっていたのだが、時々私が遊びに行くと「あやよ、コレ書いてくれんかね」と言って茶の間にある小さな合板の引き出しから、大事そうに書類を引き出してくる。もう何年もインクの減っていないいつものボールペンを出してきて、先っぽの方を息で温めてから私に渡し、「何と書いちゅう?そーか、そこには、こう書いてくれんかのうし」などと言う。そんな時は決まって、まるでそこに答えが書いてあるかのように、天井を見つめながら話すのだった。書類のほとんどは、ビルマで夫が戦死した戦争未亡人の会「パゴダ会」からのもので、会報や慰霊祭の案内書などもひと通り読んでやると、「そうかね」と小さく頷くのだった。
年賀状には、これも祖母が折ったであろう折り紙の(たしか)亀が、糊でべったりと貼り付けられ、その頃祖母が2ヶ月に一度の楽しみにしていた「シーサイドホーム」での、デイサービス午前10時半あたりの折り紙作りの様子が目に浮かび、切ない。読み書きする事が、人生からすっぽりと抜け落ちていた祖母は、とにかくボンヤリ腰掛けることもなく、良く働きよく食べた。いつの頃からか、祖母の後ろ姿に宮沢賢治の「アメニモマケズ」の文字が張り付いて見えた。
その祖母からの思いがけない年賀状に、突然「ツヅキ シゲオ」という女の人生を突きつけられたような気がした。シーサイドホームの職員の方に教えて貰いながら書いたであろう~あけましておめでとう~のたどたどしい10文字に、夫も、特定の職業も、学歴もないけれど、まっとうに生きてきた一人の人間の、すがすがしいまでの存在感を見たような気がした。そのたどたどしさは、詩人相田みつを氏のそれとは全く別の種類のもので、「選択的たどたどしさ」と「必然的たどたどしさ」の違い、といったものか。自分にとっては、祖母の「必然的たどたどしさ」の投げかけるメッセージもまた、温かい。
祖母からの、後にも先にもたった1枚のこの年賀状を一生大切にしよう、と固く心に決めて何処かにしまったまま、分からなくなってしまった。
先日、「Lungta」という写真集が届きました。ページをめくって初めて、「ルンタ」と発することを知ったこの写真集は、山田岳男という人によって撮影され、印刷され、丁寧に製本されて今、私の手元に在ります。
写真集を受け取った時の手触り、心ざわりに祖母の年賀状を手にした時の気持ちが重なります。ちがっている事といったら、祖母の年賀状は思いもかけず届き、「Lungta」は作者ご本人にお願いして送って頂いたこと。ワックスペーパー越しに見える馬の背の1枚の写真は、きれいに切り取られ丁寧に糊づけされたもので、次をめくる手が優しくなるようなページ、作者にはおおげさと言われたけれど、わずかに手の振るえを感じました。
写真集には独立した紙が1枚挟まれていて、「エデンの東」という文字の下には、この写真集でのルンタ(チベット語で~風の馬~を意味する)の事、彼らの存在を通して山田岳男という人が見ている世界などが綴られていると思います。
ルンタ~風の馬~を想うとき、私の中には祖母の駆け抜けてきた人生が重なります。時代や生活環境や戦争によって、その殆どを自分の意思や理想といったものを排除したところでやってこなければならなかった一人の女の一生。その瞳にもルンタと同じ陰影を見たことがあるような気がします。
穏やかで物欲が薄く、難しい話とは縁遠く、心も身体も丈夫だった祖母。亡くなる数年前に一度だけ、「(戦争中は)大変じゃなかった?」と聞いたことがあります。答えは、「あの頃は、みんなあそうやった」それだけでした。
不思議といろいろな事が見えない糸でつながっているように感じる今日この頃です。昨日何年かぶりに開いた雑記帳に「Artist=わかったようなふりをしない人・探しつづける人・希望をくれる人」というなぐりがきがありました。またそんな人に会えたのかな、と感じます。 あや
山田岳男さん、「Lungta」などについては自分が文字にすることによって本当のこととはかけ離れてしまうことが本意ではありません。是非、彼自身の作ったページをご覧ください。
http://silentrevolution.biroudo.jp/home.html