1月6日 成田空港
TG0641 10:45発
飛行機が離陸してしばらく、あたしは窓の外の景色が都市の模型と化するのを眺めていました。機体が水平になりベルトサインがプンっと消えたのを確認してから、あたしは隣の座席に目をやりました。珍しく黙って前方座席のヘッドレストを見つめているので、話しかけるのは止めにしてまた外の景色を眺めました。その頃にはもう眼下には何も見えず、あたしは本当に出発してしまったんだな、と思いました。
そもそも、あたしはインドへなど行きたいと言った覚えはないし、行きたいか?と聞かれた覚えもない。
昨日北海道から羽田に到着し、お母ちゃんのお友達夫婦の車で成田に向う途中、あたしは大きなお城を見ました。「あれ、東京ディズニーランドやでえ」。お母ちゃんのお友達が言いました。あたしは車の窓から振り返って見ようとしたけれど、あっと言う間に通りすぎてしまいました。
「Nくんね、もう15回も行ったんだって。」
「インドう?」
「違う違う、東京ディズニーランド!」
「ああ、ディズニーランドねえ。いいよねえ。」
その後、何か言うのかと思って待っていたけれど、相変わらずヘッドレストばかり見つめているので、あたしはきっと繊維の数でも数えているんだろう、とそれ以上ディズニーランドのことは口にしませんでした。
(あの時だってそうだった・・・)あたしは小学校入学式の朝のことを思い出していました。
その日、あたしは長かった髪をきれいにアップに結ってもらってから、新調のお洋服を着せてもらいました。すっかり着せてもらった時、あたしの気分はブルーでした。だってそれは、男の子用の黒いスーツだったからです。スカートだとばかり思っていたのは、真っ黒い膝下までのパンツでした。不機嫌なあたしに構わず、母ちゃんは満足そうでした。頼りの父ちゃんまで、「カッコいいなあ」とか言っていました。
そんな風にして、いつも全ては母ちゃんの中で決まっているのです。だから今回のインドにしたって、行き先も、あたしが行く事も、当然のように決まっているのです。この人の中には、(ねえ、行きたいと思うけどどうだろう?)とか、(一緒に行きたいと思う?)とかそういうのは無くて、もう全部自分の中で決めてから「○月○日、行くからね!」と、そんな調子なんです。そして父ちゃんだってスーツの時と同じ、「いいなあ、M。いいなあ。」って。
機内に飲み物が運ばれて来る頃、母ちゃんは本を読み始めました。「空の上で読めるとか最高!」とか言っていつもの調子に戻っていましたが、突然ノートを取り出して物凄い勢いで何かを書いたかと思うと、また本を読み始めたりして、延々とそんな事を繰り返していました。この、突然ノートを引っ張り出してきて何かを書き付ける、というのは、この後の旅の間中繰り返され、時にはリクシャー(人力車)の上でも書く、といったように本当に所構わずなのでした。
「何書いてんの?」と聞けば
「まあ、色々」
と言うだけなんだけど、余りに字が汚すぎて半分くらいは良くわからない、とか言っていました。母ちゃんのコトバをかりればキモチノシッポヲツカマエル、という事らしいのです。
そんな風にして私達の旅は始まりました。母ちゃんに言わせれば「たったの10日」あたしに言わせれば「10日したら終わる」、そんな旅のはじまりでした。
「コルカタってどこ?」っと聞くと、母ちゃんはインドのガイドブックを取り出してきて「私もおととい知ったんだけどさあ」と、地図の上にコルカタを探しました。「ここに行きたかったの?」と聞けば、「インドと言えばコルカタ?」とか言って目をシパシパさせていました。
とにかくコルカタに着いてからのホテルも決めていないという事は言っていたから、あたしは「どんなトコに泊まるの?」って何度も聞きました。しまいの方には「母ちゃんだって行った事ないんだから分かる訳ないじゃん!」と不機嫌になったりして。去年の11月に2人で行った根室の旅館を、母ちゃんがいたく気に入っていたのを思い出して、「わかった!民宿たかの、みたいなとこ?」と言うと、「YES!インドのたかのやね!!」と笑っていました。
乗り継ぎ待ちの、タイ・バンコクの空港での5時間は最悪でした。
まず、母ちゃんの携帯電話が不通になりました。出発前に電話会社に行って海外でも使えることを確認していたのに(これは母ちゃんにしては上出来)、です。
それからタイのお金を持っていなかったので、何も買う事ができませんでした。そして何故だかクレジットカードも使えなくて、あたしはイチゴが買えませんでした。
一番嫌だったのが、母ちゃんが「なんでインドなんやろうねえ?」と聞くことでした。あたしは飛行機に疲れたのとおなかが空いたのと、母ちゃんの「なんでインドばなし」にグッタリしていました。母ちゃんは、「聞きたかったら聞いててね!」と言って、セロ弾きのゴーシュを読み始めました。隣にいた外国人のおじさんとおばさんが笑っているのが気になって、お話しを止めてくれないかと思ったけれど、母ちゃんにしたって読んでなければいてもたっても居られない、そんな風でした。
BANGKOK SUVARNABHUMI国際空港
TG0313 15:45発
成田空港から一緒に来た大勢の日本人達は一体どこへ行ったんだろう?あたし達の周りにはタイ人とインド人ばかりでした。唯一、日本人の女の人が搭乗待ちロビーに座っていたので母ちゃんと眺めていると、その人は知らない言葉を喋り出し、「韓国人だね」と母ちゃんが言いました。
飛行機がコルカタに向って出発した時、もう外は真っ暗で何も見えませんでした。飛行機の中では前みたいにみんなお喋りしてなくて、ゴーっという音だけがやけに大きく聞こえていました。母ちゃんは相変わらずノートにビッチリ何かを書き付けていました。あたしはいつの間にか眠っていました。日本に置いてきた弟や妹に、もう随分長い事会っていないような気がしました。
「M、M、着いたよ!起きな!!」母ちゃんの声で目が覚めました。本やノートを慌ててバッグに詰めて飛行機を降りました。ほとんど誰もお喋りしなかったのであたし達は小声で話しました。まるで来ては行けない場所に来てしまったみたいでした。母ちゃんは「インド版、津軽海峡冬景色!」と言いました。あたしは何の事かわからないので黙っていました。
コルカタのNETAJI SUBHAS国際空港は、オンボロで何もかもが壊れていました。母ちゃんのコトバを借りれば、「2年前に閉鎖した市民プールの匂いのする、7年前に廃業したボーリング場」、という訳。
成田空港カウンターで預けてきた荷物が出てくるのを、レーンの前で待ちました。「高知の農協では、こういうレーンからスイカが流れてくるね」と母ちゃんは言いました。荷物を運ぶカートも、ほとんどが壊れていました。荷物を載せるステンレスの荷台のバーがほぼ無くなっていて、うまいこと両端に引っ掛けて乗せないことには落下してしまうのです。もう、何もかもがそんな風でした。
入国審査のカウンターで、母ちゃんがあたしの顔が見えるようにあたしを持ち上げ、いよいよあたし達はインドに入国しました。その後両替所で3万円をルピーに換えると、お札が物凄く増えてびっくりしました。それから市内の安宿街までのプリペイドタクシーのチケットを買いました。
「言っとくけど、いっきなりインドだぜ!」
母ちゃんは言いました。
時刻は夜の10時を回っていました。まだ今夜の寝床さえ決まっていないあたし達は、空港を出てコルカタの街に出ました。空港の前には黄色くて可愛い形をしたタクシーがあたし達を待っていて、何も言わなくても荷物をトランクに入れてくれました。あたしは、(なんだ、母ちゃんは日本から予約をしてきたんだね)ホッとしました。
コルカタの街に入るにつれ、みるみる間に車の数が増えていって、 その全部がクラクションを鳴らしているみたいでした。
タクシーの運転手さんは運転しながら振り返り、
「ジャパニ?」
っと言いました。
母ちゃんは「YES、ジャパニ!」
っと言ったきり何も言いませんでしたが、窓の外をしきりに眺めていました。あっちの窓にもこっちの窓にもガラスははまっていなくて、排気ガスと土ぼこりの匂いで胸がいっぱいになりそうでした。時々母ちゃんはあたしの顔をじっと見ていましたが、それからやっぱり何も言わずに窓の外を 見ていました。
こんなに夜遅くなのに、コルカタの街には沢山の人達が歩いたり座ったり、食べたり寝転んだりしていて、どこもかしこも電球がぶら下がっているのでした。それからやっぱり色々なモノが壊れたり剥がれたりしていました。そして、沢山のインド人たちや野良犬たちが、あたし達を見ていました。
突然母ちゃんが
「やったー!!!」
って叫んで、運転手さんが笑いました。母ちゃんたちは何か喋っていたけれど、あたしには何を喋っているのか分かりませんでしたが、多分コルカタは初めてかとかそういった事のようでした。
タクシーが止まったのは、こんな看板の前でした。時間はもう11時近くになっていました。母ちゃんは運転手さんに何か言ってから、あたしを残したままホテルの中へ入って行きました。ほどなくして戻って来てから
「今夜はここで寝るよ!」
と言いました。あたしたちはタクシーを降り、荷物を背負ってホテルの夜用の小さな通用口を入りました。あたしはバックパックが重くてフラフラしたけれど、母ちゃんが「これからは自分でもってもらわないと困るからね」と言いました。
成田を出発してから約14時間、あたし達の長い長い1日は終わり、今コルカタの宿のベッドの上にシュラフを広げたばかりです!!
母と娘
だからこそできる旅なんじゃないだろうかって思いながら読み進めています。
そして、Aちゃんの娘であるMちゃんのこと
何故だか我が子のように愛おしく大事に思えています。
そしてAちゃんにとってもとっても会いたくなりました。
なんてすてきなロードムービーなんだ!
一曲書けそうな気持ちになってきた!
投稿情報: Mootookoo | 2011/01/22 09:36
mootookooちゃん
一曲?いいね、いいね、そういうのいいね!!なんだかワクワクするじゃない!私、今度帯広に会いにいくね。なんか私達会ったら、化学反応起こしそうな気がするね。ウンチク、タンチキ、ウンチク、タンチキ・・・・・カッポレカッポレ、アマチャデカッポレ♪
あや
投稿情報: あや | 2011/01/22 10:38
辻谷家の皆様へ、今年初めての商店でした。今年もよろしくお願い致します。アヤさんからちょっとだけですがコルカタのお話を聞くことが出来ました。話を聞きながら「僕にとってのコルカタは辻谷商店なんだなぁ~」と思いました。カレーを食べ終わったら急に身体が緩んでいつのまにかソファーで寝てしまいました。気がついたらコーヒーがあった…おいしかったです。夢心地でジャンベの音色が心地よかったです。今度は子供たちに会えるのを楽しみにしています。克ちゃん、中野での感想教えてくださいねぇ~。
投稿情報: ABO型選手 | 2011/01/29 23:00
ABO型選手
昨日はありがとうございました。選手にとって辻谷商店はコルカタみたい、なんて嬉しいコメントありがとう!そう、続きを書かなくてはね。私も2010年と11年に境目がない感じに共感しました。いつもお話ししようと思うとソファーで眠っているので起こさないでいます。また今度は、一緒に珈琲飲みましょうね。
いつもありがとう!!
投稿情報: あや | 2011/01/31 03:20